にいがた寺町から www.n-teramachi.com



絵「ある池のものがたり」三芳悌吉(福音館書店/刊)より
< 100年ほど前の新潟町の様子 >

現在のどっぺり坂周辺から、下町の日和山方面への眺め
寺町の裏は松林と砂丘が広がっていた。

海上には粟島、新潟みなとへ入港する船、日和山、松林、砂丘、寺町、
下町(しもまち)、運上所(税関)、信濃川河口が描かれている


にいがた寺町の成り立ち


蒲原 宏 (日本医史学会理事長)


中世の新潟町では上杉氏の支配時代の
天文二年(一五三三)から慶長二年(一五九七)までに
上杉氏と争いを起こさなかった真言宗、浄土宗、曹洞宗、日蓮宗の
七ヶ寺が他国から移って来て現在の西堀通二番町から
八番町にかけて寺を建て住みついた。

当時、この付近は町はずれの砂丘地で、人が住めない場所であった。
伝承によると長善寺(浄土宗)が最も早く天文二年に定住した。
ついで天文三年に法音寺(曹洞宗)と善導寺(浄土宗)が
永禄年間に瑞光寺(曹洞宗)と不動院(真言宗)
元亀二年に真城院(真言宗)、天正三年には長照寺(日蓮宗)が
転住し寺町の原形ができた。

上杉氏と一向宗(浄土真宗)との和睦ができた後になると
慶長元年(一五九六)に、真宗寺(真宗)、と宗現寺(曹洞宗)
慶長二年には真浄寺(真宗)が加わって十ヶ寺となり
古新潟の町にはっきりとした初期の寺町の形が出来てきた。

慶長三年(一五九八)一月に上杉氏が会津へ国替えになり、
堀・松平氏の支配時代の慶長三年から慶長十九年(一六一五)までに
往生院(浄土宗)、勝楽寺泉性寺光林寺正福寺(真宗)の五ヶ寺が
会津、加賀、信州などから転住し、十五ヶ寺からなる寺町が形成された。

元和二年(一六一六)の牧野氏(長岡藩)の支配下になると
寛文十一年(一六七一)までの五十三年間に
勝念寺超願寺浄泉寺本浄寺、北山浄光寺、蒲原浄光寺
浄土真宗六ヶ寺と宝亀院(真言宗)、本覚寺(日蓮宗)の
計八ヶ寺が転住してきた。

明暦二年(一六五六)に新潟町の町並が整った後には寺町川も完成し
町奉行屋敷を中央にして上(かみ)下(しも)に
二十三ヶ寺からなる寺町が砂丘地を背景として
町はずれの浜側にできあがった。

俳人松尾芭蕉が新潟町に旅の杖をとめた元禄二年(一六八九)には
寺町はすでに現在の形で存在していた。

 享保十四年(一七二九)頃には本坊のほかに二十ヶ寺の前寺もでき
大小・四十三ヶ寺の並ぶ寺町となった。

明治時代に寺町が西堀通と町名を変えられて現在に至った。

寺町には四百六十九年にわたる歴史の重さがある。





寺町の寺町らしき糸柳 
ひろし

(河童の絵・高橋卯木)
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